待つことの大切さ、難しさ

 作文を書いては消し、書いては消し、なかなか前に進まない。

 お子様がそういうタイプで、見ていてやきもきするお母様もいらっしゃるのではないでしょうか。

 作文教室でも、書いては消しを繰り返し、いつになっても完成させられない子が何人かいます。

 私もそういう子を見ると、以前は「早く書いて!」とか「早く書けるようにしなくては!」と思ってしまい、「悩んでるんならここはこうしたら?」と口を挟んでしまっていました。せっかちです(笑)

 そして言われた子どもは、基本的に「え~」と納得いかない顔をします。

 こちらの都合でせかしてしまっているのですから、子どもからすれば不満ですよね。

 

 社会に出たとき、いつまでも悩むだけ何も結果を出せないのは困ります。そのため大人は、ついつい「いいから進めて、早く完成させなさい」と言ってしまいます。

 でも、こう考えてみてはどうでしょうか。

 子ども時代というのは、学ぶための時間であって、だから完成までに時間をかけたり、あるいは失敗しても良いのだと。

 書いては消し、というのは、それだけより良い作品にしたくて悩んでいるということです。一所懸命考え、試行錯誤しているのですから、その時間は文章力を磨いている大切な時間です。悩み、考えれば、それだけその子の血肉となります。

 また、自分がどのくらい時間を必要とするのか分かれば、将来期日の決まった仕事をするときに自分にあった計画を立てることが出来るようになります。こうした積み重ねが、自立へとつながります。

 

 私達大人は、つい「上手な作文」という「目先の結果」を重視して、そのために子どもをせかしたり、ああしなさいこうしなさいと指図してしまいます。

 でも、「子どもの成長」という大きな目的で見た場合、作文を書き上げるまでの「過程」のほうがずっと大切ではないでしょうか。

 そして子どもたちがその「過程」に時間をかけているのなら、大人はそれをじっと待って、助けを求められたときに手を貸せばよいのだと思います。

 

 そういうわけで最近は、子どもが書いたり消したりを繰り返していると、成長してるんだな、学んでるんだな、と考えるようになりました。こう考えると、時間がかかっているのが逆に嬉しくなります。

 つい「こうしたら?」と口を挟んでしまいたくなることもありますが、そこは我慢です。

 我慢ですが、文集の期限が迫っているときなどは必要以上にあれこれ言いたくなるわけで、こういう時、待つのは本当に難しいと実感します。

 

 教育書などを読むと、教育は子どもを待つのが大切だとよく書かれています。

 もちろん、ただ待つだけが正しいというわけはないでしょう。また、放っておくのと待つのとは違います。

 今は待つべき時なのか、それともアドバイスをして一歩進める手伝いをする局面なのか。この子にはせかした方が良いのか、悪いのか。自分で気づくのを待つべきか、私が言ってしまった方が良いのか……。

 

 

 子どもたちからすれば先生はじっと黙って教室にいるように思えるかもしれませんが、いろいろ考えて、ちょうどいいタイミングを待っているんですよ。

 

 

2017年05月13日